「スーパー・プライベートⅢ-約束された街で-」/2018

【制作年/ 2018.11】
【発表/有地慈個展/カオス*ラウンジ五反田アトリエ】


ステートメント
ここは、私が眠りについたときに約束された場所だ。
目覚めているときには奪い去られていた場所だ。
ここは誰にも知られていない場所だ。
ここでは、船や星々の名前は、手の届かぬところへと漂い離れていく
山々はもう山ではなく、太陽はもう太陽ではない。
どんなものであったかも、だんだん思い出せなくなっていく。
私は自分を見る、私の額の上に暗闇の輝きを見る。
かつて私は欠けることなく、かつて私は若かった・・・・・。
それが今は大事なことのように思えるし、私の声はあなたの声に届きそうに思える。
そしてこの場所の風雨は、いつまでも収まりそうにない。
(「一人の老人が自らの死の中で目覚める」/マーク・ストランド)

眠りにつく前、「死んだらどうなるの?」とむすめに聞かれるようになった。
むすめが生まれたのは2011年の11月3日だ。
その数ヶ月前、彼女が私の腹に宿ったばかりの3月11日、この国では大きな地震がおき、それに伴う大津波、原発事故とかつてない大災害に見舞われた。
東日本大震災以降の子供達は、その成長が忘却への時間とも重なる二律背反にさらされている。
それはときに彼らの生に震災の亡霊が付きまとっているかのような影を落とす。
生きることについて、死ぬことについて、私はむすめに何を語れるのか。
私も幼い頃、母に何度も「死んだらどうなるの?」と聞いたようだ。
母は、その質問にうまく答えられなかったから、信仰を決意したのよ。と言った。
母に促されるまま90年台乱立していた新興宗教団体のひとつに所属した。
毎晩眠る前、欠かさず経文を唱えては世界に祈りを捧げた。
小学生のとき、ライバル団体とされるオウム真理教施設の撤退を求めるデモに参加した。
地下鉄サリン事件が起きたのはその数日後だった。
幼かった当時の私にとって、一連のオウムの事件は、自身の信仰を強固なものにした体験だった。
「オウムが裁かれたということは、自分達の正しさが証明されたということだ」と。
現在、私は特定の信仰を持たない。
今年2018年7月、麻原彰晃の死刑が執行された。
村上春樹は、我々はオウムに対抗できる物語を持たなくてはならない、と言っていた。
私は麻原が居なくなった今こそ、他者の提示する物語に身を委ねていたかつての自分に、再び回帰してしまわないための、生身の物語を必要としている。
大きな事象がメディアを通して瞬時に伝播してゆく世界で、我々は必要以上に、口をつぐんではいないだろうか。
より渦中にあった者にしか語ることが許されないのであれば、それは暴力的な力をもって時代を刻んだ大きな物語を前にして、あまりに無防備なのではないか。
例えば私は、大災害の被災者ではない。オウムの被害者でも、信者でも、加害者でもない。
それでも平成の終わりが訪れる、あまねく人々に平等に、しかし固有の物語として。
今、あなたが、次の時代を生きるに足る、そしていつかは死にゆくに足る、どんな物語を持っているのかを教えて欲しい。
私は、かつての私と同じ質問をするむすめに答えるための、あなたとは共有し得ない、故に語り得る、物語を欲している。

【作品プラン】

室内へ入る。暗い。左手に受付があり、チケットを売っている。
手前の部屋では、子供の古着をつなぎ合わせた見上げるほどの波を模したオブジェ、人間の等身大のアヒルの着ぐるみのオブジェなど。
天井にはプロジェクターの映像が映る。
映像では少女とアヒルのパペットが波打ち際で戯れる姿。顔にはモザイク、名前には放送禁止音。
「◯◯ちゃん、ぼくとけいやくして、まほうしょうじょに、なってくれる?」
「あそぶならいいの!」
奥の部屋の様子を映すモニターがあり、11.3を反転させた3.11に空目する数字、またダンボールの山などが見える。

チケットを購入し、奥へ進むと、明るい。ダンボールの家が並び立つ。作者とその娘は会期中ダンボールの街に籠り、最終日に向けて準備を進めている。入ると出迎えられ、共に遊んだりダンボールの街を増設したりできる。

このダンボールの街は展覧会の最終日の11月3日、作者の娘の誕生日の日に解放され、誕生日パーティーが行われる。

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慈 Itsuki

慈(Itsuki) 貸民家プライベイト管理人