「スーパー・プライベートⅣ-きっとくる-」/2019

【制作年/2019】
【発表/健康な街@プライベイト/貸し民家プライベイト(東京)】
「スーパー・プライベート」という連作において「私と公の大きな飛躍」を掲げ、作品の大きな要素として「在」を扱ってきた。
(日本初の飛行機死亡事故を扱った1作目では会場に鎮座するその土地の巨石、
2作目では常に鑑賞者の横にいる着ぐるみを着た作家本人、
3作目では会場で誕生日の準備をする作家の娘が「在」にあたる。)

私的なエピソードを多分に使用する私にとって、その作品を外へ開く方法として
「第三者のまさに目の前に実物が存在する」ということは不可欠な要素だった。

4作目にあたる今回の舞台は長年放置されていた家主不在の民家だ。
生活に合わせて設計された箱である以上、家は待つ。

私は最近、小学生の娘と供に、自宅のマンションのベランダにて毎晩「 」を待っている。
そのマンションはちょうどこの民家から川を挟み、スカイツリーの方角に背を向け見上げた先にある。
サミュエル・ベケット の戯曲「ゴドーを待ちながら」は、
二人の浮浪者が『ゴドー』を待ち続けるも、
『ゴドー』は最後まで現れない、
という不条理演劇である。
我々はこの街で誰かと誰か、何かと何かの目的が重なり、
思いもよらぬものから待たれ、あるいは待ち続ける。
今作では、現実の不条理をゆく人間の営み、
そして自ら身を投じているこの時代の一幕として、
演劇ではない方法で、ベケットへのオマージュを試みている。

作品プラン

貸民家プライベイトの3階に、椅子だけがある。天上にはプロジェクターによる映像。どこかのマンションの夜のベランダで母娘が遊び、歌い、やりとりしている。夜空を見ながら「〇〇」を探しているということがわかる。
張り紙があり、電話番号が記されている。かけると、作家からベランダへ出るよう指示される。
来場者がベランダへ出ると、遠くから来場者の名を呼ぶ声が聞こえる。

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慈 Itsuki

慈(Itsuki) 貸民家プライベイト管理人