腹が痛くてうずくまっている
たまに私がいつまでも横になっていると、
猫が嬉しそうにして離れない
母に「A型だったらね、そんなことないですよ、とか、あなたが必要ですよ、とか、相手に気を使わせずに相手が懸念してることを否定する立ち回りを、知ってるけどね、あんたは、AB型だからね、気の利いたこと言わないし、去って行く人を、止めもしないよね」と言われた。
ここ半年で何回か、全部別件で言われた。
努力しているし、人が好きだし、思いやっている。
嘘を言わないだけだ。
プライベイトと名前を付けた民家を運営している。運営といっても、大したことではなくて、人を招いたり、知り合いとか、知り合いの知り合いに、安く場所を貸している。
プライベイトは、実家があるマンションの目の前の細い運河を渡った対岸にある小さい一軒家で、10年前くらいに母が、祖母に買ってもらったという。
母は沖縄のちょっとした資産家の家の、男ばかりの五人兄弟の末っ子で、一人東京に出た人間で、そういう事情もあってか祖父が他界したとき遺産相続の話に全く加わらなかったので、たぶん、祖母は不憫に思ったのだ。祖父は、唯一の娘の母を溺愛していた。
当時私は横浜の戸塚から大学に通っていて、なにやら中古の安い一軒家を買ったとだけ聞かされていた。年末に実家に帰るとき、唐突気味にマンションでなく一軒家の方へ来いと言われて、案内されるまま狭い路地の全く馴染みのない小さい家のドアを開けて入って、そしたら、まだなんにもないキッチン兼居間の部屋でコタツに入った父が、満足げにニコニコしてたのを覚えている。鍋を囲んだ弟妹も一軒家の方に馴染んだ様子があり、すでに犬や猫達も一軒家へ移動させられてうろうろしていた。マンションが手狭になってたから、こういう別宅ができてみんなちょっと嬉しそうで良かったなと思った。
少しして、キャンパスが東京に移るタイミングで私もその一軒家に引っ越し、そのまま二年弱ほど住んでいた。妹や弟と、あと当時の恋人も一緒に暮らしていて、その間両親は主にマンションにいたので、子供しかいない家という感じだった。
私がそのまま入籍して家を出て、その後は、残った妹弟が使ったり、遠方から来た親戚に貸したり、父が書斎がわりに出入りしたりした。けど、継続して手入れする人がいなかったので、物置がわりになり、ゴミも放置されて、そのうち誰も近寄らなくなった。
私は2年しかいなかったので、あくまで他所者のような意識があるけれど、母はそれなりに思い入れがあるようだった。
使わないならすぐ売れば良いのに、お金に困っても、カードが止まっても(実家はお金に無頓着なので、贅沢はしていないのに計画性がなく、ついに現在一時的にだがカードが止まっている)、一軒家を動かさなかったし、片付けもしなかった。
私が、友人知人の協力を得て、放置された一軒家に手を入れることになったとき、母はその前日にようやく駆け込んで物品を整理し出した。夜中に扇風機の羽根にラムちゃん(昔飼ってた猫)の毛がついていると電話してきて、父が「そういう人は、物を捨てたり、家を売ったり、できないよねぇ」と笑っていた。
いろんな人の協力を得て、なんとか大量のゴミを捨て、掃除して、人を招けるだけのスペースをつくり(それでもまだ押入れには実家の私物が残っている)、知り合いを招いてプライベイトお披露目会を開いた。
終わって一人残って後片付けして、急に不安になり、マンションに帰って母に「もし一軒家にラムちゃんまだいたら、人がたくさん来てしまったから、びっくりしてどこかへ隠れちゃったかもしれない」と報告したら、
「ラムちゃんは、とっくに天国だし、あの家は、人が好きだから、きっと家が喜んでる」と言った。
慈 Itsuki
慈(Itsuki) 貸民家プライベイト管理人
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